Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

わたしとは野菜のようなものである

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おはようございます。
タクさんです。

なんか、昨日予約投稿を間違えて、記事を二つアップしてしまいまして、、、

あー!せっかくストックしておこ〜って思ったのにー。

というわけで、ま、アップしてしもたもんはしゃーない。

いやね、
僕、土日は記事は書かずにゆっくりしてるんですよね。
なので、あらかじめ、ある程度記事を書いておいて、予約投稿してるんですけどね。

なんか、日付の入れ方を間違えたみたいでねー。

ぐぬぬ。ですよ。

なので、急遽土日分を埋めるためにもう一個記事を書いてるわけでございまして。

さて、

最近野菜って食べてますか?

この野菜ってやつ。

これって、「私」とよく似てると思うんですよね。

と言う話を今日は書いてみたいと思います。

■■■

はぁ?
私と野菜が似てるだと???

ん?
なんでやねん?
わけわからんわ!

って思いますよね。

いや、実は野菜ってね。
ないんですよ。

私というのもないのと同じで。

ん?

???

ですよね。

はーん?

どーゆー意味???

ってね。
思われるかもしれません。

このことについてちょこっと書いてみたいと思います。

私っていうのは、概念なんですけどね。
この概念ってのはどういうものかと言いますと、

何かしらが起こっていて、
それに対して、
私に起こった。

みたいなね。

そうやって、私という概念を後付けしているわけなんですけど、

本当に起こっていることというのは、
その起こっていることだけがあるんですよね。

で、その起こったことをね。
なんとなーくひとくくりにして、私という概念で包んで把握してるんですよね。

この癖があるので、どうしても私ってのがあるように感じているわけです。

それと野菜がどう繋がるねーん。
ってことなんですけどね、

ほら、
野菜って言う何かしらのモノって本当はないじゃないですか。

わかります??

例えば、
トマトはありますよね。
ジャガイモもありますよね。
レタスもあるし、
キャベツもある。

でも、野菜っていう個別のものってのはないじゃないですか。
本当のところは。

本当はトマトとレタスを食べたのに、
野菜を食べたー。
みたいに認識していたり、

ジャガイモとキャベツを食べても、
野菜を食べたー。
ってね
認識してみたり。

そういうのと
私っていう概念の認識の仕方って似てるなー
って思うんですよね。

「私はいません。起こっていることが起こっているだけ」
「私という実体は本当はないんです。」
ってね。
よく非二元系の先生は言うじゃないですか。

私はいませーん。みたいなことを聞いたりした日にゃね。
時にファンタジーのように感じたり、
なんかこの先生。
何かしらのすごいことを知ってる人なんとちゃうやろか?
みたいにね、
思っちゃったりすることもあるんじゃないかな?
って思うんですけどね。

これってね。

「野菜ってのはありません。トマトはトマトでレタスはレタスなんです。」
「野菜というモノの実体はないんです。」

って言ってるのと同じようなことなんですよ。

ほんとに
当たり前のことを言っとるに過ぎなかったんですよね。

私というないものがあると思って、
なんか人と比べてみたり、
必要のない罪悪感を感じてみたりね。
そういうこともあったりすると思うんですけどね。

でも、ないんですよね。
私ってのは。

野菜がないのと同じで。

概念なんですね。
概念化するクセがついてしもてるだけなんですね。

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