Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

そのまんまに落ち着く

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おはようございます!タクさんです。

暑くなってきましたねー。
こういう夏の夕暮れ、
涼みながら、ぶわっはーと大きめの息をはいて、
外の景色をただ観る。

そういうひとときが好きです。

それって、ただ、そのまんまに落ち着くってことなんですよね。
そやって、そのまんまに落ち着いておればええんやと思います。

普段、そのまんまじゃないときって、頭の中で言葉がぐるぐると現れたりしてたりします。
こういった言葉だってただの記号なんです。

そんな記号を解き明かすことなく意味を与えるでもなくそのまんまに、
真理や「それ」を探すでもなく、何もわからないまんまにただ落ち着いてみるんです。

私とは誰かと、問うこともなくそのまんまに、
誰かとか、そういうのも、わかんないまんまにただ在る。
わかんないまんまに佇み、ただ在ってみるんです。

あとはお任せしておくんです。

すると「それ」は勝手に向こうからやってきます。
やって来たら何も掴むでもなく、そのまんまにしておればええんです。


僕ね、
家で陸亀を飼ってるんですけどね。
たまにその亀が、
なーんか、思慮深そうな表現して、
じっと遠くを見つめて佇んでる時があるんですよ。

表情だけ見たら、
とても難しいこと考えてるような感じなんです。

なんか、世界の難題について考えてるような表情です。

でもね
やつはなんにも考えて無いんですよ。
何かをわかろうともしてないんです。

まさにそれそのものとして在るだけなんですよね。

言葉という記号をこねくり回してごにょごにょやっとるのって人間だけなんですよね。

本来、言葉って人とのコミュニケーション手段としての道具なんだけど
なぜか頭の中でリフレインし続けたりしてるんですよ。意味ないのに、、、
何をはっきりさせたいかも良くわかんないまま、無いゴールめがけて進み続けてるんです。

で、混乱してくるんですよね。

ほんま、わからんでええんです。

そしてわからんに落ち着いた時、そこに静寂があるんです。

うるさいのはわかろうとしてアレコレと考えたり、
あれはナニでこれはナニとレッテルを張り続ける行為の方であって、
実際の音ではなかったんです。

なので大音量の中でも、静寂は見い出されるんです

そして、いつも、ホントにあるのはこの静寂だけなんです。

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