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非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

探究に必要な拠り所について

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どうしても、探究には拠り所が必要となってきます。
なので、探究者が探究をする際にはどこかに拠り所を探そうとしてしまうんですよね。

なので、「それ」をどうしても得ようとしてしまう。
得るためには、何かしらの拠り所を探してしまうんですね。

そして、あらゆるメソッドを拠り所にしようとしてしまうわけですが、
これも探究を続けている間は仕方のない事であったりもします。

探究とは拠り所ありきのモノだからです。

探究が「それ」を見失う原因だとは、頭でわかっていても、
ではその探究を手放す方法があるのではないか?
と更なる探究を繰り返してしまったりして、、、

それを繰り返してしまうことって多いと思います。

まずは、常に自分は拠り所を求めているということを知ると良いと思います。

あらゆるアイデア、答えを却下していくこと。

これは、拠り所の排除でもあります。

この答えを却下していくという方法そのものがメソッドなのではないか?
という思いも沸いてくるかもしれません。

だとすれば、その思いもひとつのアイデアです。
却下してしまいましょう。

じゃあ、どこに拠り所を求めればいいんだ?
拠り所を求めるエネルギーが自分の中にあることが発見できるかもしれません。

このエネルギーが分離のエネルギーです。

探究を手放し、
なーんにも持たずに立つ。

ここには、どうにも心地の良くない何かを感じるかもしれません。
今、自分がどこにいるのか?何をしているのか?何を目指しているのか?
そういったことを常に確認していないと、なんだか手持ち無沙汰な感じになったりすることもあるかもしれません。

この衝動こそが、分離のエネルギーなんです。

中心点をどこかに据えていないと、なんだか気持ち悪く感じてしまったりするんです。

ありとあらゆるアイデアを却下していくと何やら代わりの何かを探そうとする自分に気づく場面があるかも知れません。

また、お!なんだかわかってきたかも!という思いも沸いてくるかもしれませんが、それも無慈悲に却下してみるんです。

よしわかった!
よーし、却下していくぞー!と思ったなら、それも却下です(笑)。

あなたの目に映るモノは単なる光の反射です。
目の前にあるコップはコップではありません。これもひとつのアイデア、概念にすぎません。
あなたは椅子に座っているのだとすれば、その椅子は椅子ではありません。
これもひとつのアイデア、概念です。
あなたが、座りながらお尻に感じている感覚。
その感覚はお尻で感じているものでもなく、頭の中で感じているのでもなく、
ただ、感覚としてそこにあるだけです。
座っているのでもなく、ただ、感覚としてあるだけです。

あなたの心に何らかの感情があるように感じるとき、
その感情はあなたの心の中にあるのではなく、
ただたんに、感情の感覚としてあるだけです。

その感情が、何らかの理由によって起こっているものだと思っているのだとしたら、
その思いは、ひとつのアイデアであり、概念です。

これらのアイデアのすべてを手放さなきゃならないわけでもありませんし、
それらのアイデアが次々と現れるのも、
あなたにとってはあずかり知らないところで勝手に起こっていることでしかありません。

ただ単に起こっている感覚に「自分」という概念を後付けしているだけなんです。
却下してみてください。

心を失うのは人間らしさを失ってしまうのでは?といった恐怖が訪れるかもしれません。

んなわけありません。
無くなりませんので、安心して却下してみてください。

却下すると無くなってしまうのでは?と思うかもしれません。
それすらも、ただの概念であり、ひとつのアイデアです。
却下してみてください。

大事なことなのでもう一度言いますが、
これはもしかしたらメソッドなのではないか?と思うかもしれません。
それもひとつのアイデアだから、却下してください。

そして、このメソッドを大事に持ち込もうとする自分がいたら、
そんなアイデアも却下してみてください。

却下は、ただ横に置いておくということなので、安心して却下してください。

どうでしょう?拠り所、つかみどころはどこかにあるでしょうか?
それも勝手に作られたアイデア、概念だったのではないでしょうか?

却下している自分がバカみたいに思うかもしれません。
そんな自分も却下してみてください。

何が残るでしょう?
とっても、退屈で、手持無沙汰な何かが残るでしょうか?

今までの自分には、とても退屈で、平凡すぎて、それがとても「それ」とは思えない。
受け入れられない。
そんな何にも無さ。

それが「それ」です。

全てを却下したあかつきに「それ」があるのではなく、
最初っから「それ」があっただけにすぎません。

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