Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「ワタシはいない」がよくわからん!メソッドの扱いもよくわからん!

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おはようございます。
今日は、頂いた質問にお答えしようかと思います。

質問
「私」がなくなりひとつの生命だけがあり、何も分けるものはなく、その生命だけがキラキラと脈々とただそこにあるという一瞥の経験をしましたが、その経験もまた起きては過ぎていく経験のひとつにすぎないということは理解しました。
タクさんのおっしゃっている事とトニーパーソンズが言っている事は同じ事を指していますか?
タクさんのおっしゃられている「私」という中心点がないと見抜いているのは「私」ではなく、「私」なんてない状態で「見抜き」が起きているということでしょうか?
それとも、「見抜き」ということが経験になると、それは二元の世界の事になるのでしょうか?
以前のコメントでアドバイスしていただいた、「何を望んでいるのか?」を見てみています。
最初は苦しみから逃れたかったのだと思いますが、そのうち好奇心だと思うようになっていました。
しかし、もっと深くをみていくと、そこにはもっと複雑な優越感を得たい欲や、特別意識や、今よりも良くなりたいという単純な欲が、影を潜めながらも強く奥に隠れていたようです。
ただ、それを抜きにしても求めてしまう探求の欲が力強くあるのです。
タクさんのおっしゃられる「それを見抜く」事も、アジャシャンティが三十代に訪れたという大悟も、「この先のどこか」のように感じてしまいす。
それがズレている。違う。という事は頭では理解していますが、私が動きだすのです。
↑質問ココまで

「ひとつの生命だけがあり、何も分けるものはなく、その生命だけがキラキラと脈々とただそこにある」

まさに、ただの「それ」とはその表現の通りです。
そこに、私の体験といった概念が付け加えられることによって、
起きては過ぎていくひとつの体験に姿を変えてしまうんです。

トニーさんと同じことを指しているのか?につきましては、
トニーさんの本は僕も以前読みましたし、
いろんなことを言ってられると思いますが、
ちょっとトニーさんが、具体的にどんなことを言っているのかについては、
忘れちゃってまして、
どの言葉が僕が言っているのと同じことなのか?は
ちょっとわからないのですが、
多分、「ワタシはいない」「ことが起こっているだけ」みたいなことかな?
と思います。
だとすれば、同じことを指していると思います。

見抜きについてですが、

僕がよく見抜きと表現しているのも、
見抜きましょう!といった表現をしてしまうと、
ついつい「私が見抜く」と思ってしまう事があると思うので、
それを防ぐためにそのような変な表現をしているのですが、
あまり大げさに捉えなくてもよいと思います。

経験になると二元の世界になるのか?については、

経験を私のモノとしてしまう事により、
二元の世界になる。みたいな感覚です。

見抜くことも、大悟も、

「それを手に入れる誰かがいる」

という概念があるときだけ、この先のどこかにあるという感覚を感じてしまいます。
そしてその感覚があるから、私が動き出すように見えるんです。

さて、質問を拝見していて、もしかしたら
「私は無い」というところでちょっと引っかかっているのかな?
と感じました。
なので、ちょっと「ワタシは無い」について書いてみますね。

たとえば、いろんな感情や感覚はあるじゃないですか?
望みを見てみたときに、例えば、
苦しみを逃れたい
好奇心
特別意識
優越感
探究欲
とか、いろいろあったかと思うんですが、
これって、そういうのがじゅんぐりと変わったり変化して
その間に、例えば、ちょっと小腹がすいてみたり、
外の車の音が聞こえてみたり、
お、そうだ、いかんいかん!望みを観なきゃ!という思いがわいて来たり、
ん?もしかしてこういうことかな?
と思って見たり、
と色々とあったと思うんですよね。
そして今もそうやって、おしゃべりしていると思います。

あたかも、それらの思いに個別に名前を付けると、
好奇心だとか探究欲だとか、
そういう個別の思いがあるように錯覚しますが、

名前を取り去ると、
ただ、単なるダイレクトな経験と反応だけがあったかと思います。

で、
「ワタシはいない」とは、
ここにあるのは、このダイレクトな経験と反応しかないじゃない?
このダイレクトさのどこに「ワタシ」はいる?
探しても見つからなくないですか?
という事なんです。

「ワタシ」はいなくなるのではなく、最初っからいたこともなかったんです。
好奇心のように見える何かは起こっている。
でも、それを体験している、その状態になっている誰か?っていますか?
あるのは、その好奇心のように見える何かだけじゃないでしょうか?
という事なんです。

そして、そうはいっても私が動いてしまうんですよね。
別の質問でもちょっといただいていましたが、
見抜くためにはどうすれば良い?
動きを止めるために瞑想したら良いんか?
でもそれもメソッドだし、
そのメソッドに、またハマってしまうのも嫌だしー
でも私は動くしー
ひー!!!どーすりゃー良いのー??
みたいなね。
なので、おしゃべりは続いてしまうのかもしれません。

さらには、
いかんいかん、また性懲りも無く、私が動いておる!
おっとこの動いておるってのもおしゃべりだ!
あれもおしゃべり、これもおしゃべり、、、
まず、このおしゃべりを鎮めなければ!

おーっと!この鎮めなければ!も、おしゃべりやーん!

みたいなね。
ホントややこしいですよね。

こういったおしゃべりについて、
例えば、エックハルトトールさんなんかは、
このおしゃべりをやめて、静かなところに留まりましょう。
みたいなことを言っておられたと思います。
いろんなスピや禅の教えなんかでも
カルマの解放だとか、
思考を鎮めるとか、
反応しない練習とか、
思考や感情から距離をとるいろんな方法があったりするんですが、

こういった教えがいつしか、馴染んでしまったというか、
力を持ってしまったようなところってあると思うんですよね。

でも、そんなのって難しいですよね。
てか、無理なんですよね。
反応も思考も勝手に起こってくるもんですしね。
これを何とかしよう!
コントロールしようっていうひとつの執着みたいなもんですからね。 

たしかに私が動いているように見えます。

そして、それは動かしておいて良いんです。
止めなくていいんです。

それを止めようとすると、「止めようとする動き」に絡め取られちゃったりするんですよね。

そう、

皮肉なことに止めようっていうのも、動きになっちゃうんです。

なので、あえて止めようとせず、そのまんまに動かしておく。
勝手にさせておくんです。

どんなものであれ、
なにかを変える必要性なんて無いんです。

そして、そのまんまに、なーんにも掴むことなく、
ただ、見てみると、
うごいているのはワタシではなく、
探究心や好奇心そのものがあるのでもなく、
探究心や好奇心のように見える言葉にならない感覚が
ただ動いておるだけなんですよね。

あらゆる感情や感覚に種類があるように見えてはいるけど、
それは名前を付けているだけで、実際にその名前を指すものがあるわけではなく、
それを経験しているワタシがいるように見えてはいるけど、
よくよく探してみると、あるのはただ、経験だけがダイレクトにあるのであって、
ワタシがどこかにいるわけではない。

そんなのに「気づいている」というのが、いろんな偉い先生がの言うところの
静かなところ、気づきの意識と言ったことなんでしょうけど、

ここでもう一つ

僕の意見は、んな気づきの意識ってのもなーい。
っていうものなんですよね。

この気づきの意識はいつしか「ワタシ」に変化していく大元のタネのようなものだと思っています。
ワタシにとっての最後の砦みたいなね。
ワタシはいないけど、この気づきはある。
うん。これが気づきの意識だ!
つまり悟りだ!
みたいなね。

この気づきすらなーい。
というわけなんです。

つまり、ダイレクトな経験そのものしかないんですよね。
そして、それそのものしかないのは、
もうそれが全部であって、全部しかないという事にもなるんです。

全部の中で、何かが起こっているように見えているだけなんです。
そして、それは「なんにもない」と同じこととなる。

みたいなね。

ちょっとややこしいですが、
それが僕が言っている事なんです。
これらのことを一言で表すと
「それしかない」
とか
「これしかない」
となるんです。

記事によっては、この何にも無ーいを表現している場合もあれば、
気づきの意識までのことしか表現していない場合もあったり、
一部分の自我のクセについて書いてるだけの時もあるんですけどね。

何事も捉えようとすると、どんどん難しく、ややこしくなっていきますね。
でも、あるのは、この上なくシンプルかつ単純すぎる「それ」だけなんですよね。

捉えようとすると、何かを掴もうとすると、何かを確かめようとすると、
途端にややこしくなります。
捉えずに、掴まずに、確かめずに、このメッセージも吟味してみることもなく、
ただ、そのまんまにしておくと、そのまんまが姿を現します。

ちょっとややこしく、冗長になってしまいましたが、
なんとなくはわかってもらえましたでしょうか?

また、質問があればお気軽にしてください。

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