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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

あなたに私の何がわかるって言うの?

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誰かに、あなたはこういう人だ!と決めつけられると、ちょっとイラッとしますよね。
あなたに私の何がわかるって言うの?

てね。

誰もわたしのことなんてわかってないんだから!
わかったようなこと言わないでよ!
みたいな言葉をドラマでもよく聞くような気がします。

逆に他の人の指摘で、
あなたって実はこういうところがあるよ!

とか指摘されて、

あらヤダ!その通りだわ!
あなたったら、ワタシよりワタシのこと知ってるのね!ス・テ・キ!

みたいなこともあったりしてね。

さて、なんでオカマ口調やねんってところは置いておいて、
ここでいう私とは、どんなワタシ?について書いてみたいと思います。

あなたの中には、あなたの描いているワタシがいます。
それは身体の感覚であったり、記憶、鏡に映る姿、
1年で1つとしをとるというルールにのっとった年齢。
性別
国籍
仕事
家族との関係、etc.

とまあ様々なレッテルや記憶や感覚から
あなた自身が創り上げているワタシです。

そして、
あなた以外の人は、
あなたの見た目、あなたとの会話、性別、国籍、仕事、あなたとその人の関係、記憶
あなた以外の人が持つ正義感、etc.
と、また様々なレッテルや記憶からあなたという人を作り上げます。

あなたが思っているあなた。
あなたの親が思っているあなた。
あなたの友達が思っているあなた
あなたの上司が思っているあなた
これらは、全部、違うあなたとなるんですね。

そして、ときに人は、
自分らしくないと思う行為に苦しみ、もっと自分らしく生きたいとねがったり。

私にはあんなことやこんなことがあって、それでも頑張ってこうしてるの!
もっとわかってよ!
と不満を持ったりするわけです。

そして、あなたの中にも、様々な他人がいるわけです。
その様々な人も、あなたの中で作られた印象によって作られているわけです。

あなたの中のワタシも、あなたの中のあの人も、
あの人の中にいるワタシも、あの人の中にいる別の人も、

それらが作られる材料は、
すべて、レッテルなんです。

そして、このレッテルさえも、人によって印象は全然違ってくるわけです。

昆虫博士がみる虫(というレッテル)は研究対象となり、
虫(というレッテル)が大嫌いなひとが見る虫は、ゾッとして避けたくなる対象となるわけです。

とまあ、
自分自身を含め、あらゆる人が、全然違う材料(レッテル)をもって、あなたと言う人を作り上げている。

このワタシってもう、どこにも実体がないんですよね。
概念です。

実体はないけど、概念的に作られた幻想のようなものですね。

そして、その材料となっているレッテルも同様に実体がないわけです。

なので、「ワタシはいない」んです。
どこにも実体はないんです。


■■■


ちょ、、、ちょっとまったー!

まてまてーい!

勝手に記憶やらレッテルから私という概念が作られているのはよくわかった。
なので、作られたワタシは幻想のようなものだというのもわかる。

でも、その記憶やらレッテルから幻想を作っている誰か?
それは存在するのとちゃうのんかー!

てね、思いませんか?

ここに思考の限界があるんです。

もし、あらゆる記憶やレッテルからワタシを作り上げている誰かがいるのだとしたら、
何を基準にその記憶やレッテルを選んでいるのか?

その基準があるとしたら、その誰かが持っている記憶やレッテルがあることになる。
作り手の意思が存在することになる。

それがもしかしたら神の意思と言われるものなのか?

じゃあ、その神の意思はどこから生まれたんだ?

神の上の大神様みたいなのがいるのか?

みたいに終わりがなくなるんですよね。

そして、そうやって
終わりがないやないか―!
結論が出ないやないか―!
と考えているのも、「思考」なんです。

ここで終わりがあるとすれば、その「思考」が活動をやめるときです。

僕は、よくこのブログで、分かろうとするのではなく、わからないままでいたらいいですよ。
そのわからんが「それ」です。

みたいなことを書いたりしますが、
それは「思考」そのものが、ある種の活動、動きのエネルギーであるからなんです。

思考は何かを固定し理解しようとしますが、思考自体が動きですので、いつまでたっても固定化されず動き回るしかなくなるんです。

そして、感情も同様です。

これらを総称してマインド(心)と言ったりしますが、
これらでさえも、ただの動き、働きに名前付けてレッテルづけしているだけなんです。

思考が思考をレッテルづけし、感情が感情をレッテルづけしているだけです。

レッテルはそもそも無いモノですから、それらがないと、ただの名もないエネルギーのような動きです。

勝手にただ起こっているだけの動きなんです。

その動きに影響を受ける何かや誰かもいません。

ワタシもいなければ、思考もなく、感情もありません。

ただ「それ」があるだけ、「それ」とは全部。何も分けることが出来ない全部が諸行無常しています。

言い換えると、全部がダンスをしている。

もっと正確に言うと、ダンスだけが常に起こっている。

ただ、それだけ。
となります。

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