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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

覚者はウ◯コしませんっ!

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あの人は、覚者のように振舞っているが、偽物だ。
人を依存させて金儲けをしている。

あのスピ系先生も悟ったとか言いながら、あんなことやこんなことをしてた。
偽物だ。

本物の覚者ならあんなことは言わない。

とか、

そんな議論って良く起こりますね。

ニサルガダッタマハラジというえらい先生は、娘の進路のことについてえらく悩んでいたそうです。
覚者なのに、なぜ悩むのか?と訝しがってる人もいたようです。

そやって、いろんな覚者ディスりをして悦に入ってる人って、
どんだけ覚者信仰が強いねん!
って思ったりするんですよね。
ディスってるけど、いわゆる覚者のこと、本当はめっちゃ好きなんやん!って思います。

まるで、アイドルはウ◯コしませんっ!
って信じてる熱狂的なアイドルファンと同じようなものです。
熱狂的なアイドルファンが幻想抱きすぎなのと同じで、
覚者に幻想抱きすぎー。って思うんですよ。

自分で抱いている覚者幻想が大きすぎて、それに沿わないから怒ってるんでしょうかね?

けど、残念ですが、覚者なんていう特別な人はいないんですよ。
アイドルだって普通の人なのと同じでね。ウ〇コするんですよ。

もし、あなたが、悟りとはこういうもので、悟ったとしたらこういう人間になるんだ。
といったような思いがあったとしたら、それは完全に自我ちゃんの物語です。

この物語にはまっちゃうことって結構あるんですよね。

何度も何度も、
誰かがそれを得るものではない。
といった言葉を聞いても、

それでも、知らない間に、
シラーっと物語を作り上げてしまうんです。

また逆に、自我がないということは、人間性がなくなるみたいな誤解を抱く場合もあります。
これも、幻想抱きすぎー。ってことなんですけど、

例えば、
「私はいない」「全ては起こっているだけ」「全ては完璧」
なんだとしたら、その人は、人が苦しんでいて、悲しんでいても、
全然オッケーなんだ。
といった解釈です。

これも勝手な脳内解釈なので、幻想なんです。

でも、それも脳内解釈なんだよと言われたとしても、

じゃあ、どういうことなの?
わかるように説明してくれる?

と疑問を抱いたりするんですよね。

だから、そやって分かろうとすることが掴もうとすることでしょ?

と言われたとしても、もう自我ちゃんはへそを曲げてしまっているので、
聞く耳を持ちません。

そりゃそうです。自我ちゃんには絶対にわからないことだからです。

そしてその自我ちゃんとがっつり同一化して離さないのであれば
分かりようもないんです。

その自我ちゃんを手放すのは人間性を手放すことと同じように感じ、
「それを捨てるなんてとんでもない!」
と感じているんです。

この感覚が信念となり、どうしても何かを理解し、解釈する。
という物語作りを止めさせないんです。

じゃ、どうすればいいのか?

とどうしても思ってしまいますよね。

そして、どうすることもできない。というのが答えなんです。

この八方ふさがりなどうしようのなさ。

それを受け入れられないとしているエネルギーが分離のエネルギーの正体です。

どうにかして、理解し解釈し物語を作り出そうとするエネルギーなんです。

どうにかしなきゃダメじゃん!
というのは、あくまでも自我ちゃん目線の信仰でしかないんです。
何かを解釈しなきゃいけない教
みたいな信仰です。

この信仰が幻想だと見破られた時、この分離のエネルギーは力を失っていくんです。

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