頭にかけておいたメガネのことを忘れて、メガネメガネと探しまわる。
これってまさにひとり相撲のようなものです。
そして、メガネが頭にあったことに気づいた時、
メガネを探していた本人は、
「あ、ここにあったのかー」
てなもんで、メガネが見つかった気になっています。
でも、メガネは見つかったのではなく、最初っからあったんです。
ただ単に、見当違いなところを探していただけなんですね。
悟りの探究というのも、これと似ています。
誰からもどんな時も離れたことのない「それ」を見当違いなところで探しているようなもので、
「それ」はあなたから離れたことなんて一回もないわけです。
ただ、探そうとする気持ちがそれを見失わせているだけなんですね。
人ってだれでも、より良くする、よりよくなる為になにかを探究します。
この行為の原点には「愛」があるわけなんです。
そして、探究の欲求もその原点である「愛」を求めているんです。
探究のゴールはどこかにあるわけじゃなく原点に答えがあるわけなんです。
その原点は、あなたから離れたことは無く、今も目の前に展開されているわけなんです。
目の前のなんてことのない石ころでもいいし、ペットボトルのふたでもいいんですが、
それに一切のレッテルを貼らずにただ観てみると、そのもののありのままの姿が現れてきます。
それは、固定されたものでもなく、説明できるものでもなく、分離できるものでもない
一体となった流れです。
この流れが命です。
この命は完全な静寂の中で、表現し続けているんです。