Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

あなたは誰ですか?

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こんにちわー。
あなたは誰ですか?

え?私ですか?
わたしはタクと言います。男です。
日本人です。
血液型はO型です。
えーっと、京都出身でして、今は東京に住んでます。
仕事は広告やウェブなど全般のデザインを作る仕事をしてるんですよー。

へー。
そーなんですかー。

■■■

というわけで、おはようございます。タクさんです。
なんか、いきなり自己紹介から始めてしまいましたが、

これって、やっぱり変じゃないですか?

誰か?というのを簡単な自己紹介で、ある程度何者なのかを知った気になる。
けど、これって、
もう、完全に物語としての誰か?ですよねぇ。

こんな自己紹介が全くのウソだったとしても、
その人自身は変わることは無くその人自身なわけであって、
そうだとすると、こういった自己紹介って、変わることのないその人自身を説明するのに全く意味をなさないものであり、
分かった気になるだけのツールであって、
なーんにもその人を分かったことにはならなくて、
そうなると全く意味のないことになるのでもう、ただの音でしかない。
ってことになります。

そうでありながら、そういった物語紹介をやっているという事になります。
意味がないのを承知の上でね。

じゃあ、そういったことが意味をなさないとすれば、私とは誰なんでしょう?

今までのストーリーの記憶があなたでしょうか?

でもその記憶って、今都合の良い記憶をひっぱり出してるだけであって、
全ての記録じゃないわけすし、
引っ張り出される記憶はその時々の都合によって違うわけですし、
記憶そのものも、信憑性があるか?というというほど信憑性も無かったりしますし、、、

じゃあ、私は誰なんだ?

今あるこの感情が私なのか?というと、
感情だってその時々でコロコロと変わり続けますし、
どれが私なのか?と固定することも出来ません。

私は考える!ゆえに私は在る!

みたいなことを偉い哲学者は言ったそうですが、
ホントに私が考えているんでしょうか?

であれば、なぜ悩む必要があるのか?嫌な思いがやってきたりするのか?
良い事だけ考えてればいいじゃないか。
なのに、なぜそう出来ないのか?

ホントは考えが勝手に起こってきているんじゃないか?
そこに私という感覚を後付けしているだけじゃないのか?

もしかしたら、ただ感情や考えや記憶が
勝手に起こっているだけなんじゃないでしょうか?

じゃあ、私は誰なんでしょう?
どこにいるんでしょう?

そういった考えや感情、記憶、名前。
それらを一切排して、
ただそのまんまを見ると、その目の前にあるモノは何でしょう?

それこそが、「それそのもの」なのではないでしょうか?

■■■

ふーむ。。。
というわけでしてね、
だらだらと書いてしまいまして、
なんか文章力の低さのせいか、全くうまい事書けてませんけどね。

ワタシというものって、ただ、在る気がしているだけで、
無いんですよね。
具体的にこれだっ!と言うことが出来ない。

何かしらの恩寵が、私という分離エネルギーを消滅させる。
なんてのも、やっぱり物語なんですよね。
そんなんじゃないんです。

最初っから無いんです。
見抜くだけです。

が、誰かが見抜くわけでもないんですよね。

何かが変わることはありませんが、一切合切が変わります。

考えも今まで通り起こり続けますが、当然のことながらそこに私はいません。

私というのも他の考えや感覚と同じなんです。
その考えや感覚があるときだけ、それがあるように見えます。

自我がどうのこうのと言ったりしますが、この自我も、
自我の話をしているときだけ、自我のことを考えているときだけ
自我の感覚があるときだけ、
在るように見えているだけなんです。

また、自分ってやっぱりいるやん!と思うもう一つの大きな要因として、「心」というものがありますね。
心ってやっぱりあるじゃん!それが自分じゃん!って思いますよね。
このことについて書いてみようかと思いますが、ちょっと長くなってきたので明日に続きます。

それでは、明日の朝!またお会いしましょー!

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