全ては幻想です。
幻想とは自我のことです。
つまり、全ては自我なんです。
全ては幻想だとか、全ては自我(エゴ)だとか、
そういった言葉は、スピ系ではもう言われつくされていますよね。
あまりに言われすぎていてもう聞き飽きているかと思います。
でも、聞き飽きてしまって、分かっちゃっているのであれば、
そのわかっているというのも結局は自我なんですよね。
今日は、そんな自我ちゃんのことについて書いてみたいと思います。
■■■
私は悟ったぞー!
ついにわかったぞー!
っていうのは、自我の思考です。
そして、
まだ私はそこまで至ってない。
まだ自分が残っている。
と言うのも自我の思考ですし、
怒りや不安、そして心配があると言うのも自我の思考なら、
ワオ!
なんか楽しい
ワクワクしかない
全ては完璧だわー!って感じているのも自我なんです。
あらゆる思考を落としただそこに座ることにより、今ここに立ち戻る、
そしてまた現実を生きていく。
と言うのも自我の物語ですし、
愛に生きていくと言うのも自我の物語。
あらゆる全ての筋書きは自我の物語なんです。
じゃあ正解はないじゃないか?
と思われるかもしれません。
そうなんです。
正解もなければ、そうすべき道も存在しません。
正解を求めるその心こそが探求のエネルギーの正体なんです。
正解を求めることをやめた時、全ての自我はそのまんま、真実の一部なんだと気づくんです。
ああ、全てはやっぱり完璧だったんだと気づきます。
今の目の前の全て。それがそのまんま「それ」です。
自分を変える必要もなければ、自我を鎮める必要もありません。
何かに気づかなきゃならないわけじゃなく、探究のエネルギーを滅却する必要もないんです。
自分を消す必要もありません。
ただ、そのまんまに観ることで、分離のエネルギーだけが脱落していきます。
見抜かれることで脱落していくんです。
まあ、これが難しいって思いますよね。
この難しそうやなぁーって思ってるのもこれまた自我ちゃんなんですよね。
とほほのほ、、、、
なので、わからないですし、どうすることも出来ないんです。
そうなら、わからないまま、どうすることもしないままに、
リラックスしちゃえばいいんです。