行為者はいないんですが、行為は勝手に起こってくるんですよね。
それは、まるで外にふく風のように。
なんか、外にふく風という例えを多用してるような気もしますが、
これって、なんか勝手に起こってる感があるじゃないですか。
なので、どうしても使ってしまいます。
ま、風じゃなくても、雨が降ったりやんだり太陽が照り付けたりでもいいんですけどね。
天気と同じように、勝手に色々起こるわけですね。
自分に起こってるように見えることもそれと同じなんです。
自然ってのは完璧で、雨ばっかり続くことも無きゃ、晴ればっかり続くこともないわけで、
川の流れもちゃんと流れるべき流れ方をするわけで、いきなり山の上に向けて流れ出すこともないんです。
人だけが、なぜか自然と自分は、別物のように捉えてるところがあって、
山に登ったりして、あー自然まんきつだわー!
なんて言ってたりしますが、
人間が作った街もコンクリートも自然の一部であるわけです。
太陽が無きゃ生き物は成立しないのと同じで、全ての自然はつながっていて、
ちゃんとあるべきように起こってるわけです。
そこで、自然の中の一部を切り取って、ここで雨降るなんてサイアクーと嘆こうが、
風を止めようと奮闘しようが、自然の流れは淡々と起こることが起こるわけです。
そして起こっていることは、何の説明も加えられずにいると、完全な無であり、静寂です。
その無の中に認識があり、まさに無の中で見かけ上、起こっていることが起こるわけです。
そこであらゆる行為も起こるわけですが、行為者はいないわけです。
意味なく吹く風に行為者がいないのと同様です。