Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

心の抵抗が起こるとき

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ふぃー。
おはよーございます。たくさんです。

さて、
今日は抵抗について書いてみよっかなーと思います。

抵抗っていうのは、今、この時点で、
この状態はまかりならん!
と思っていることですね。

それが抵抗となり、摩擦となり、苦を生むっていうわけですが、

悟りたい。というった思いも、
苦をなんとか避けたい。といった思いも抵抗になるんですよね。

変な話、希望とか望みとかも抵抗になることがあります。
今を否定しているパターンの希望とか望みの場合ですね。

こういった抵抗も、過去とか未来に起こるのではなく、 常に今しかおこらないんですよね。
それでいて、楽な感じの時は、「わたし」という感覚はナリを潜めていますが、
こういった抵抗として現れていると、「わたし」という輪郭も掴みやすく現れています。

抵抗とは分離感であり、「わたし」そのものなんです。

なので、抵抗が現れているあいだは、自分に起こっている分離感を見破るチャンスでもあるわけなんです。

とくに嫌な感情とともに現れるて抵抗は、
「おらー!分離感はここにあるどー!」
「きづけよー!」
と大きな声で言っているような感じとも言えますね。

なんで、この抵抗が苦を産むのかというと、
それは、自然な流れを止めよう、掴み取ろうとする際に生じる流れの乱れみたいなものです。

轟々と流れる滝にてをかざして
この滝の流れをとめたるー!ってゆーてるみたいなもんです。

手をかざしたところで、滝の流れは止まりませんし、
手に水が当たっても、次から次へと流れていくので、結局どうしようもすることはできないんですが、
手をかざすと水がバシャバシャ当たって飛び跳ねますし、手は冷たいですし、水の勢いででは痛いですし、
とまあ、そんな感じで、手の周りだけ流れが乱れるわけです。

これが抵抗することで現れている苦みたいなものですね。

手をかざすのをやめると、自然に流れ出すわけです。

本来の流れは、滝よりももっともっと大きな大海のように広大ですが、
手をかざすことによって、その手の周りしか見えてないようになってるんです。

手をかざすから流れが乱れる。
この乱れが、現象としてなんかうまくいってないように感じるんです。

でも、いくら乱れようが、流れは止まらずただ流れていくわけです。

そこで、手を離せば自然と流れていくんです。

いつか、この手があることにきづいて、この手を離すことができるようになろう!とか
この流れの乱れを許そう。
と考えるよりは、今、かざしている手をすっと離してやればいいんです。

手をかざしていることに気づくには、今、自分は苦しいんだと認めることです。やせ我慢せずに。
これは幻想だとか、勘違いなんだとかいって、目をそらすのではなく、まず、見てやるんです。
その上で、ぐるぐると思考として現れる言葉を、今、とめてみるんです。
するとその奥に感情が残ります。
その感情をどうにかしようとするのではなく、そのまんまにしてやるんです。

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