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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

すべてがあり、全部あるんです。無くなりません。

悟りとは 人生オママゴト論

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私はいません。そして、全ては幻想であり、なにも起こってません。
全ての概念を取り払ったとき、そこに残るのは全てである静寂です。

こういった表現は、「それ」を描写しているひとつの表現ではありますが、
それをそのまま解釈してしまうと、

なんか、今、目の前の世界は、ある種の幻想で、ホログラムで、
本当は何にもない世界があって、それを自分で発見するのが「それ」に到達することという事か。

といったような感じに受け取られてしまうかもしれません。

でも、そんなことではないんですよね。

なので、今日は、全く何も変わらないという視点で書いてみたいと思います。

確かに、時間もなければ、あなたやワタシといった区別もなく、
すべては起こっているように感じられますが起こっておらず、
起こってない中で、ただすべてが起こっています。

でも、これってちょっと複雑ですよね?
本来の「それ」は究極のシンプルなんですが、シンプルさを表現しようとしすぎている感があります。

本当は、なーんにも変わらないんです。
そして、全部あります。

ただ、ないのは、分離感だけなんです。

個人の資質もありますし、
怒りや不安もありますし、
腹もへりゃ、のども乾きますし、
好き嫌いもあります。

誰かが、物腰の柔らかい性格に変貌するわけでもありません。

事は全て起こりますし、
家の家賃やら、ローンやらも残ります。

ただ、分離感というエネルギー。
それだけがあるか無いか?
だけの違いです。

分離のエネルギーというとなんかそういった実体のあるエネルギーが存在するかのようにかんじられるかもしれません。

でもそんな大げさなものでもなく、クセみたいなものがそのエネルギーの正体です。
そのエネルギーに実体はありません。

分離感がないと、どうなるのかと言いますと、

それをそのまま観たり感じる。

それだけになるわけです。

これは、別に分離があっても変わりません。

分離とは、
ただ観たり、感じたり、、、と言ったことに
プラスアルファとして、
何かしらのレッテルづけをすることなんです。

これは便宜上必要なことでもあって、そのレッテルが無けりゃ会話は成立しないので
必要なことなんです。

でも、そのレッテルに、
現実感。。。のような、
実体のあるものみたいな感じの、
リアル感みたいな???

なんかそんな感じの実体的な感じを付け加えていたんですね。
便宜上のレッテルに対して。

それが、分離のエネルギーというものです。

エネルギーと言っても実際に力を及ぼしているものではなく、
雰囲気的にそうせずにいられないような力を感じるのでエネルギーと表現しているだけです。

そうせずにはいられないという感覚もクセみたいなもので、本当にそういった力を持っているわけじゃありません。

ただの木製の椅子が目の前にあるとします。

本当は椅子ですらなく、木の構造物に座面のようなものが付いたものです。
それを便宜上、椅子と呼んでいるのです。
もっと本当のことを言うと、木ですらなく、何かしらの構造物に見える何かしらのもの。
それが何かは本当はわからないわけです。

でも、あえて、木という概念をでっちあげて、木で作られたものであるという認識とすることにしているだけです。
これは、便宜上そうしているわけです。

そして、その便宜上の概念にリアリティを付け加えるものが、分離のエネルギーです。

この分離感が、本来はなくて、ただあると思い込んでいたものにしか過ぎない。
このことが分かるんです。

概念づくりを「ワタシ」がせっせと行っているんです。
そして、目の前の椅子という設定を作り出すことにより、その設定が椅子ではないその他を作り出します。
それにリアリティが付け加えられるわけです。

分離のエネルギーがなくなっても、便宜上の分別がなくなるわけじゃありません。

でも、それは便宜上分けているだけであって、
感じている感覚は、それそのもののダイレクトさだけなんです。

すると、目の前に椅子がある。ではなく

ただ、ダイレクトに
椅子!!!!

となるんです。
そこには、私と椅子といった区別がなく、私もいなくて、ただ椅子のみとなります。
これが真実なんです。

オママゴトと同じです。
オママゴトという事を知っていれば、レッテルづけられたものにリアリティが加えられることはありません。
だって、そんなん、ちょっとバカっぽいやん。ってどこかで気づいているからです。
どろの団子を食べるふりはしてみても、
本気で、うわっ!うまそう!!!とは思えないんです。

でもそのオママゴトがただのオママゴトからリアリティが付け加えられると、
それが重くのしかかってるように感じるんです。

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