Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

かみあわなさ

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エロイ先生(非二元とかいう理論をのたまう)
私はいません。あなたもいません。誰もいないのです。
そして、ここでは何も起こっていません。

エロイ生徒
へ?
いるやんけ!私いるやん!話してますやん!
だからあなたもいるやん!

エロイ先生
そのワタシがいるという感覚。
それが分離です。

エロイ生徒
は?
なにそれ?分離してないやん!
いるやん私も、そしてみんなもいるやん!
家にはうちのおかんもおるで!
電話したろか?
プルルルル
「はいはい!おかんやけど。」
ほらっ!いるやん。

エロイ先生
それは、あなたが私は存在するとしたときだけ存在しています。
そして私がいるから他の誰かもいると考えているだけです。
本当は時間もないし、私やあなたもいないし、何も起こってないのです。

エロイ生徒
は??今私は先生と話してますやん!起こってますやん!
時間もありまっせ!ほれっ私の時計みせたろか?
5分遅れてるけど、
ほれっ。これ私の時計ですわ。動いてますやろ?時間進んでますやん!

エロイ先生
それがすべてリアリティに起こっているように見えているのです。
何も起こってない中で、すべてが起こっているのです。
これは正に、神秘です!

エロイ生徒
は?神秘???
なにその幼稚なごまかし。
やっぱりスピはインチキや!詐欺や!

 

■■■■

はい。おはようございます!タクさんです。

さて
今日は、冒頭からとある非二元のエロイ先生と生徒の
かみ合わない会話の一例をドカーンとあげてみてやりました。

やったりました!

さて、この会話は、もちろん一例でしかありませんし、普通は、この生徒さんみたいに噛みついてくるタイプはあまりいなくて、
どちらかというと、先生の言葉をそのまま信じ込んだりしちゃって、
私はいないのか。
そして今までの私の人生も無意味なのか。
じゃあ、もう何をしても意味がないじゃないか。
みたいな、虚無感に陥る人がいたり、

反面

ああ、全て完璧だったのね。
時間もモノも全部幻想。
この物質世界は全て幻想。
だから私は、光りの道、神の道を歩んでいくわ。

みたいな超絶解釈に陥る人もいたりするんですよね。

このかみ合わなさはどこから来るのかというと、
やっぱり、大前提に「ワタシはいる」という概念があったうえで、
私はいないという話を聞くからややこしくなっているんだと思います。

こういった話は、よく映画とスクリーンに例えられたりします。
スクリーンには何も起こっていなくてそこに映像がただ写っているだけ。
スクリーンは映像が映ってるように見えますが、スクリーン自体には何も変化がなく、
スクリーンとしてそこに最初っからあるといったような例え話です。

でもスクリーンがあるとは知らず、映画の映像がリアルとしてまさに感じられるという状態でそれを聞いたとしても、それを理解することはできません。

相変わらず映像はあって、スクリーンは見えていないんですからね。

さて、それと同様に、ワタシがいるという大前提があると、そのワタシ自身が理解しようとするわけですから、それがかみ合わない大きな原因となっているんです。

そういったかみ合わなさに対して、エロイ先生は
「ワタシには絶対に理解できない話なんです」
「言葉ではそもそも表現不可能なものだからです」
みたいなこともよく言われています。
これは、ワタシ以外の他に理解できる存在がいるという事ではありません。

何かを理解し、吸収する。この一連の流れが、ワタシだけがもっているクセであって、
そのクセがあるからこそ、何から何まで理解しようと努めるわけですが、
その何かを理解し吸収する。というのがそもそもひとつの信念みたいなものであって、
物語でしかないんです。

この理解癖はもう根深く染み込んだある種の宗教のようなものになってしまっているんです。
「理解教」に入信してる強烈な理解教信者。
みたいなものですね。

なので、その理解教の範疇じゃないことは理解できない。
そもそも理解というのは、物語を空想しているにすぎない。
という事なんです。

理解することでコントロールができるのではないか?という誤解があるんです。

ですが、コントロールできるものも、コントロールする誰かもいないんです。

さて、私はいないとか何も起こってない。
とか聞くと、条件反射的に、いや、私はいるよ!と思うものですが、

普段は、みんな、私はいないときを過ごしているんですよね。

ワタシというキーワードを聞いたとたん、私という概念を思い出して、
いや、私はいる!
と思ってますが、
そうやって私がいるのは、私がいると考えているときだけなんです。

何かが起こっているのもそうで、それは、何かが起こっていると意識しているときだけ、
何かが起こっているんです。

でもそれを意識してようが、意識していなかろうが、そこにある存在。

それが「それ」です。

大げさに捉える必要はないんです。

大変な修行をする必要もなければ、大金はたいてワークをする必要もなく、
何か特別な才能が必要なわけでもないんです。

本当に当たり前に、ただ、「それ」は足元にあり、「それ」しかないんです。

何かを理解しようとすることが、当たり前で平凡な「それ」を覆い隠しています。

なので、また「理解教」に取り込まれそうになったら、
わっからなーい。にリラックスしてみることです。

エロイ先生が何かを知っているわけではないんです。
エロイ先生はなーんにもわかってないにただ落ち着いているだけなんです。

わっからなーい。はもしかしたら最高のマントラかもしれませんね。

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