Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

スピリチュアルジャーニー案内人

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スピリチュアル探求の旅を提供する案内人

スピリチュアルジャーニー案内人は、スピリチュアル探求の旅を提供する案内人です。
彼らは、様々な旅を用意して探求者に提供します。

彼らは、その旅のゴールについて語ります。
その体験談は、まさに「それそのもの」のように聞こえます。
それを聞いた探求者は、体験者が案内するその旅の先にその体験がある。
ゴールがあるかのように勘違いします。
このような案内人はたくさんいて、案内人それぞれが、様々な旅のパッケージを用意しています。
そんな、様々な案内人が用意する旅のパッケージを見ると、探求者は、時折不安になります。
いろんな人がいろんな道を案内していますが、果たして私が信じているあの案内人の道は正しいのだろうか?と思うわけです。
案内人にそのことを聞いてみると、
かたくなな案内人は、
「私は案内のスペシャリストで、様々な道を研究し尽くしている。その私が案内するこの道こそが最も近道である」
といいます。
優しげな案内人は、
「行き着く先は全て一緒なんですよ。
ただその行き先には様々な道があるんです。
山を想像してごらん?
頂上は一緒だけれども、そこへ通じる道は様々でしょ?」
と言ったりします。
案内人本人が旅が大好きな人は、
旅そのものを楽しんでいるので、
様々な旅をひっきりなしに案内してこんなことを言います。
「山の頂上は一つなのはたしかです。いろんな人が合う道を進めばいいと思うので、わたしは、様々な道を案内するんだよ」
いずれの案内人の話しも、話としては、もっともらしく聞こえます。
なので、探求者は、それを聞くとじゃあ彼らについて行ったらそこにゴールがあるのかなぁと思うのも無理のない話ではあります。

その旅は確かにそれが好きな人にとっては楽しいものです。
スピリチュアルな旅を重ねることで、
なんか他の人よりも優れているんじゃないか?みたいな優越感を感じることさえあります。
中には、神のような幻想と幻想の中で出会うことさえ起こりえます。
旅を続けることにより、旅のスペシャリストとなると、さらに旅は楽しくなるものです。

そして、その旅への探求が深まれば深まるほど、
その探究心が分離のエネルギーを強化していくのです。

 

行きはヨイヨイ帰りは怖い。

さて、僕個人的には、スピリチュアルジャーニー探求は、個々人の好き嫌いなので、好きにしたらいいじゃん♩って思います。
これは、酒好きがいろんな酒をたしなむのも別にいいし、
とあるアーティストのファンでその人を追っかけてるのも、すきにしりゃいいし、
ガンダム好きがガンダムグッズ集めるのも好きにすりゃいいじゃん。
って感覚です。
ちなみに、僕は歴史ものが好きで、最近は古代ローマもののドラマにハマってます。


ただし、スピリチュアルジャーニーの探究が、酒好きが酒を飲むことよりも上質で意義あることであるという事はありません。

また、そのスピリチュアルな旅が悟りに向かうものであり、旅をすることで「それ」に近づいていき、いつの日か到達するのだ!と思っているのであれば、それはちょっと違います。

「それ」の体験と「それそのもの」とは、全く違うものでなんです。

山の頂上という例え話に乗っかるとするならば、
「それ」は山の頂上にあるわけでもなく、ゴールでもありません。
「それ」は、スタート地点にあるものです。

なので、なにかしらの方法をつかい、山へと登るのだとすれば、
登れば登るほど、スタート地点から離れることとなります。

スピリチュアルジャーニーの探究が深まれば深まるほど、「それ」から遠ざかるのは、そういう事です。

※実際はその山自体も「それそのもの」なので、「それ」から離れることはあり得ないんですけどね。

そして、あなたが「それ」に到達するときは、
今までの探究は一切関係がなかった!
と、気づくときです。

いろいろな旅のスキルを身に着けて、その道を進んでいくのは楽しいモノです。
でも、スキルを身に着ければ身に着けるほど、せっかく身に着けたスキルを手放すのが怖くなります。
今まで、そのスキルが「それ」に通じると信じていればいるほど、なおさらです。

行きはヨイヨイ帰りはこわい。ってなわけです。
この歌の意味とはまったく関係ないですけど・・・。

今日も読んでいただいてありがとうございます!!!
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