Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分の内側と自分の外側

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自分の内側と自分の外側

僕らは五感と、感情、そして思考を通して、様々な世界を感じ取ります。

そして逐一、それがなにを表しているのか?
さらには、それは自分の内側のことなのか? 外側のことなのか?と判断をします。

たとえば、外で風が吹く音が聞こえた時。
うん。これは風が外で吹いている音だ! 
すなわちー、外側!

そんなときに、心臓のトクントクンという鼓動が聞こえてきたとします。
お!心臓の音が鳴っとる。 
これはぁーーー。内側!

誰かが話しながらこちらに向かってきます。
お!誰か来た。 
こいつはぁーーーー。 ジャジャンッ!外側!

ふと窓を見ると自分の顔が写っています。
お、目の下にクマが出とるなぁ、寝不足かいなぁ。
この写った顔はぁーーーーー。 どどんっ!内側!

空を見上げると、雲が出てきております。
ありゃーこりゃ雨になるで。
この雲はぁーーー。 あそれっ!外側!

そんな時に、グゥーとお腹がなりました。
おっ!そういや腹減ってきたなぁ。
このグゥーって音はぁー! パンパカパーン!内側!

さて、内側と外側ってなにを判断基準に決めているのでしょう?

なにが自分の内でなにが自分の外なのでしょうか?

様々な感覚だったり音だったり、目に飛び込んでくる光は

全て等しく、感覚されています。

この内と外の境目はどこにあるんでしょう?

自分という定義は、どこから出てきているんでしょうか?

また、この自分という定義は、いつ、どの時点で顔を出してくるのでしょう?

 

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