Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

幸せと至福。

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僕らが望んでる幸せって、要は高揚感なんですよね。

なんつーか、ワクワクと高揚感がある感じ?
そんなのが幸せなんだと思ってるんです。

まあ、じわじわくる緩やかなものもありますけどね。

あと、感謝した時に湧き上がる幸せな感じとかね。
こういう感謝が沸き起こっている時ってのは、自分の思考が消えているので、

至福みたいな静かな幸せがやってくるんですけどね。

ま、それは置いておいて、

自分が望んでいる幸せってのは、やっぱり高揚感みたいなものなんだと思います。

そして覚者さんたちがこぞって、
悟りとは至福であるとかゆーから、

なんかその至福ってのは、高揚感が爆発したみたいなもんじゃ無かろうか?
ってな想像がされたりします。

ワクワク感が爆発してるみたいな感じですかね。

実際の覚醒体験とかをいったり書いたりしてる人もそんな感じのこと言ってる人もいますもんね。

だから余計にそう思ってしまいがちなんですよね。

ですが、至福はそういうものじゃあなく
あらゆることは、自分に結びつけなくてよくて、許されてること。みたいな感じです。

そして、高揚感と至福とは全然違うものです。

高揚感は、何か胸にこみ上げるようなワクワクしたものがあり、

至福とは、ただただ静寂です。

確かに悟りの体験とか一瞥の体験とかでそういった高揚感を感じることはあるんです。

それは収縮されたエネルギーからの解放感で、悟りとは別物の副次的なものからきているんですね。

それは例えば、
着痩せする下着を脱いだ感覚

荷物を降ろした感覚に似ていて、良く起こりがちなのは
その開放感をまた求めてしまうことなんです。

開放感中毒。みたいなものですね。

これは開放感が気持ちいいからまた着痩せ下着を着るようなもので、 人は結局のところそれを楽しんでいるわけです。

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