Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

人生というオママゴトの役どころには、上も下もありゃせんのですよ

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オママゴトの中ではー、
オママゴト役の上にオママゴト役を作らずー、
オママゴト役の下にオママゴト役を作らずー。

ゆーてね。誰でしたっけ?福沢諭吉さんでしたっけ?

天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず。

ゆーてね。

僕らは全てである生の中で、生きたいを楽しんでいます。

そしてその中での表現は皆それぞれなわけですね。

愛と祈りに捧げても良いし、
スピリチュアルな精神世界を生きても良いし、
酒じゃー!バクチじゃー!でも良いし、
金じゃー!金持っとるもんが天下とるんじゃー!
でも良いわけです。

そこには一切の優劣は存在しません。

オママゴトの中でおかーさん役をやろうが子供役をやろうが
どちらかエライということは無いってのと同じです。

 

さて、

僕らが人生に何かしらの不足感を感じてしまう原因は、

「足りない」感覚があるからです。

 

足りないから不足感がある。

ま、そりゃそーですよね。

 

何が足りないのか?

というと、人によって色々と答えは違ってくると思います。

例えば、お金が足りない。

パートナーが欲しい。

仕事に満足してない。

酒や!酒が足らんのや!酒持ってこーい!

とかね。

 

でもそこに共通するのは、満足感が不足というものです。

なので、満足するために色々なことを追い求めるのですよね。

満足感の不足の原因は分離感です。

 

この分離感を埋めたいから、それを求め、そして求めれば求めるほどに分離感が逆に色濃くなっていくんです。

 

お金を得れば、埋まるかと思ったらそうはならない。

パートナーがいれば埋まるかといえばそれもない。

こういった、自分の外に何かを求めても、それらは状況が逐一変わってしまうので完全に得られることは不可能なんですね。

そして、そのことに気づくと今度は自分の内面強化に答えを求めてしまうんです。

自分の能力がもっと高ければ良いんじゃないか?

自分が常にポジティブであれば良いのではないか?

自分が我慢強ければ良いんじゃないか?

といった方向に進みだします。

そして、もっともっと自分を高めることができたら、

悟りを開いた聖者に近づけるんじゃないか?

そうなったら、もっと世界が穏やかに感じられ、慈愛や慈悲に満ちた自分になれるんじゃ〜なかろうか?

 

とまあ、そう思ってその方法を宗教とかスピリチュアルに求めたりするわけです。

そして、瞑想したり、修行をしたりして、心も落ち着いていき、少し近づけたかもしれない。

と思っちゃったりしちゃうんです。

 

でも実際は、それに近づくということはないんですね。

近いとか遠いといった問題ではないんです。

だから、酒飲んでグータラしてる人と、

金稼ぎに躍起になっている人と、

修行や瞑想を長年続けている人との間に

差は一切ないんです。

 

何もかも取っ払って、ありのままをダイレクトに見つめてみると?

そこにあるのは、ありのままの生の感覚があるだけです。

 

それに成りきる必要も、それをわかる必要もありません。

それは元からそれで、それでしかないからです。

 

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