Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【悟りと癒し】ヒーリングと悟りがごっちゃになっててややこしいと思ってるあなたへ

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ヒーリングは何かしらの重た〜い自分の感情の原因となっている
自己を発見し、それを受け入れ、そして許すことが基本ベースにあります。

また、重た〜いがあるのは

生きたいというエネルギーの表れでもあるんです。

生きるには危険を排除しなきゃならないという本能が根っこにあります。

嫌なことやストレスは生にとっては危険であるので避けようとするんです。

ただし、
生きるためにはやなこともしなきゃならないという矛盾にぶつかることもあります。

なので完全に避けるのは不可能なんですよね。

一方、悟りの方は、その生きたいエネルギーが抜け落ちることです。

つまり自我ちゃんにとっては死を意味することなんですが、
それは死ではありません。

自我ちゃんは死んだこと無いくせに死を恐れているんですね。

ではなぜ、生きたいエネルギーが抜け落ちるのかというと、
死がないからなんです。 
全てはイノチそのものであり、そのイノチの中で生きたいというエネルギーが動いていただけだからです。

イノチは、生そのものなので、それが全てであり、
全てということは、その生の感覚しか無いわけですから、
そのなかでの生きたいエネルギーが意味を失うのです。

ストレスで辛く生きづらいと感じているのであればヒーリングは素晴らしいことであると思います。

でも全ては生そのものだから
その中で生きたいというエネルギーを癒すことについては、
悟りとは全く関係ないことは確かにその通りです。

辛さの解消を悟りに求めるのであれば、
なかなか自我ちゃんにはハードな道なのかも知れませんしね。

ちなみに、宗教や、スピリチュアル系は、

ヒーリングをやっているものがほとんどな気がします。

ややこしいのは、ヒーリングと悟りがごっちゃになっていて
指導者でさえよくわかってい無いことが多いことなのかも知れません

なので、許しや受け入れの先に悟り、解放があるといったような、
ナゾ概念が出来上がっちゃってるのかも知れません。

これは完全な誤解だと言えます。

ヒーリング、許し、受け入れは、
生きたいエネルギーを阻害するものの排除し、
のびのびと生きたいエネルギーが動き回ることを助けることなので、
生きたいエネルギーそのものの消滅である悟りにつながるということはありません。

ただし、辛かったり生きづらいという状態は、
生きたいエネルギーMAX!状態になっているということなので、
それを和らげるという意味はあるかもしれません。

ただし、それをまるで悟りの準備となります!
とかいって商売文句をまに受けると 延々と、癒しを繰り返すこととなり、より深い自分をより深く癒し続けるという無限ループに陥るんじゃないか?とも思います。

自分の中の癒されていない部分探しが始まってしまうんですね。

それは逆に言うと、癒されてない部分を次々と作っているにすぎないってことなんです。