Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【悟り】この話を聞いて何になるのか?

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この話を聞いて何になるのか?

というと、なんにもなりません。

僕らは何にもないところで何かになろうゲームをしています。
だから何かになる材料を探し続けるのです。

何もないものは意味がなく、意味のある何かを求めるんです。

何かになるというのは取捨選択なので、 何にもないから何かを捨てていきます。

それにどっぷり浸かると捨ててしまった無いものに対して不足感を感じます。

そしてますます何かを得ようとしてしまんですね。

やがてその欲が不安定感を感じることになり人によっては、

それらをお金に求めたり、
地位に求めたり、
容姿に求めたり、
恋人に求めたり、
宗教に求めたり、
スピリチュアルに求めたり、
悟りに求めたりします。

でも勿論のことながら望むものは手に入ることもあれば手に入らないこともあります。

そこで苦を感じたりするのです。

この苦は不足感からくるものです。

何にもないは全てです。

あなたは最初っから不足なく完全です。

何にもないはまさにイノチであり、生の感覚です。

あなたは生きてるだけで完全完璧です。

その完璧の中で求めるをやっているんです。

求めるものが手に入った時、
その瞬間、求めるが消えて何にもないが顔を出します。
その瞬間が気持ちいいからまた求めるんです。

結局のところ何にもないを求めてたんです。

 

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